シェアのフラット化
最近、イトイさんの「インターネット的」を読み返してるんですが、インターネット的であることとは、リンク/シェア/フラットの3つであると書いてあって、この本って8年前の本なんですけども、やっぱイトイさんってすごいわ~と、あらためて感動しておる次第なんですけども。
でですね、さっきふと思ったんですけども、もしかして、
ブログでリンクがフラットになり、
twitterでシェアがフラットになった
んじゃないでしょうか。
有名人と一般人のつながり方を想像してみると、この感覚がわかりやすいんじゃないかと思うんですが、どうですか?
でもねえ・・
シェアがフラットになるのはいいことだと思うんですけども、たとえば普通の人のコンビニ昼飯をフラットにシェアされても見る気はしないわな。
でも100回に1回でも事件が起きたり、過去に事件が起きたという情報があれば、つまんなくても見るわな。
つーことは、コンテンツは中身の完成度より、期待値が重要ってことなのだろうか?
なんてことをつらつらと考えていくのですが、ウルマーはそれを直接何かに生かすことができません。でもたぶん、つらつらがじわじわ染み渡って、いずれ何かに反映されていくのでしょう。
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コメント
左ききになったパパさんが言うことにゃ…(2009年10月28日 21:13)
本って読むタイミングで、頭に入ってくる内容って変わってきますよね。もっと言えば、頭じゃなくて、体全体であったり、五臓六腑だったり。
イトイさんは大好きなのですが、この本は、知りませんでした。是非読んでみようと思います。
ウルマーとしては、うるまさんの「つらつら日記」的な本が出たら、是非読みたいです。
Twitterって日本語意識してません?
「つい、言った。」って。。。
Twitterをやっていなくて、蚊帳の外から見ている私にとっては、結構生々しく覗いている感じがします。「インターネット的」を読んで
「シェアがフラットになった」について再考してみたいと思います。
それにしても、なんとかbotって書いてる人どう思います?